「わかまつ農園」

福岡県糸島市のオリーブ農園

農園のこと

ごあいさつ

わかまつ農園では有機農、自然の循環を考えた果樹を栽培をし自分たちの手でアロマの蒸留をしており、自分たちの果樹と思いで生活に役立つ”モノ”を作り上げていきます。
人には想像できないほど長い年月で積み重ねた地下資源は枯渇すると思います。

自然由来を原料にし一年で出来る資源で、未来に”つなぐ”ことを考え行動することをお約束します。ほんらい安心、安全は当たり前のことであり、モノだけでなくお役に立てることがあれば幸です。

【前編】今すぐできる幸せの実感と循環を通じた社会貢献を。この地球を未来へ残し、生きたい人が生きられる平等な世の中を実現させたい〜わかまつ農園・若松潤哉の想い〜

【前編】今すぐできる幸せの実感と循環を通じた社会貢献を。この地球を未来へ残し、生きたい人が生きられる平等な世の中を実現させたい〜わかまつ農園・若松潤哉の想い〜

わかまつ農園は、福岡県糸島市に位置する果樹の生産から加工品の加工までを一貫して行う小さな農園です。

現在は、農園主である私・若松とその妻・由加利の夫婦二人三脚で農園の切り盛りをしています。

東京で働いていた生活から一変。農業経験もない私が一家で糸島市に移り住み、土地を一から開墾して農業をはじめたわけですが、その背景には並々ならぬ想いがあります。

皆さんは、今まで生きてきた中で、このような疑問を抱いたことはないでしょうか。

・何故、人はこの地球に生まれてきたのか?
・何故、人は働くのか?
・何が人にとっての幸せなのか?
・人が平等であるためにはどうしたら良いのか?
・この地球を次世代につなぐにはどうしたら良いのか?

私は、幼少期の父の影響・東京でがむしゃらに働いた経験・脳腫瘍を患い死を覚悟した経験を経て、このような疑問を抱くようになりました。そして、その疑問を自らの力で解決する手段として「わかまつ農園」をスタートさせました。

わかまつ農園がスタートして6年。

これまでも多くの方にご縁して頂き、商品をリピートしてくださるお客様、商品を置いてくださるお店にも恵まれました。

これから、さらに多くの皆さんと「わかまつ農園」が描く未来を共有していきたいと思い、「わかまつ農園」に農園主・若松が秘めた想いを一つの記事として纏めることにしました。

暑苦しい農園主の想いを、どうぞ一読いただけたら嬉しいです。

農園主・若松は学生時代から自分が納得のいかないことはとことん熱くなる!大切にしてきた判断基準は「それは正義かどうか?」

お会いしたことがある方は、よく言われるのですが、私はとにかく熱くなってしまいます。

いや、正しく言うと、私自身はとくに自分のことを「熱い」とは思ったことはありません。

しかし、自分の想いや、これからやっていきたいこと、農業と向き合う姿勢について語っていると、「若松さん、熱いですね」と言われるのです。

おかげさまで、熱量で人を巻き込んでしまいますが、その熱血な姿勢が生まれたのは幼少期と学生時代に遡ります。

普段はあまり語ることのない幼少期・学生時代の話。

わかまつ農園を語る上で欠かせないものですので、読んで頂けたら幸いです。

父の顔色を見て過ごした幼い頃。その経験が、人の心を読む力をつけてくれた

鹿児島県阿久根市。

ここが私の父の生まれであり、私の田舎です。

父は高校卒業後に集団就職で上京をして働いていたので、私の生まれは東京ですが、祖父が田舎に住んでいたので小さな頃から田舎に帰る機会があったので、私にとっては原点のような場所かもしれません。

当時、五右衛門風呂があり、お風呂を沸かすための水も山から引いていました。

自然と一体になった生活を、父の実家に帰るたびに経験ができ、子供心にそれが新鮮で楽しかったことを覚えています。

この経験こそが、今自然とダイレクトに向き合う仕事に就いた原点ではないかと思っています。

また、厳格な父の影響で幼い頃から、人の心を読むことを考えさせられる子供でした。

・あの人は今何を考えているのだろう?
・今発した言葉はその人の本意ではない気がする
・こういう態度の裏側にはこんな思いを抱えているはず、など

先回りをして、その人の感情と感情の裏側にある出来事を紐解くことを何度も頭で繰り返していました。

小さな頃に、自分自身と会話をする時間が多かったことが起因しているのかもしれません。

この感覚は、後に「この人にとっての幸せは何か?」という判断軸を持って、人と接していく自分の原点を作ってくれました。

こうやって、過去を振り返ってみると、今の自分の生き方は小さな頃の経験で形成されていることが多いものですね。

エネルギーが有り余っていた学生時代。正義を楯に戦うヤンキー・若松


父の転勤で小学4年生の時に田舎の鹿児島県に戻り、小・中・高の学生時代を過ごしました。

中学・高校時代は、尾崎豊やビーバップハイスクールが流行っていた時期で、まさに学校崩壊が叫ばれていた時期。私も例に漏れず、流行に乗り、不良グループに属していました。

今になって振り返ってみると、不良になりたかったというより、「自分の正義感を表現する場所」がそこしかなかったのだと思います。

喧嘩をすることはあっても、理不尽な喧嘩は大嫌いだったし、シンナーを吸いそうな仲間がいたら「おい、お前、それはダメだろう」と言って、悪いことを撲滅するような正義感が強くありました。

不良グループにいた割にクラス全員と仲が良かったし、誰とでも分け隔てなく話すような性格で、自分の正義に反する出来事があれば、とことん戦っていたように思います。

印象に残っている出来事と言えば、クラスで起こるいじめを楯付いていたこと。

家庭環境が厳しくて身なりが少し汚れて見えるような子がいじめられていたりすると、それが許せなくて、「こいつも色々大変なんだよ。それをわざわざ声に出して言う必要なないだろう!」と。いじめた相手に楯付いていました。

とにかく、理不尽なことが許せなかったのです。

理不尽なことを見過ごさずに、とことん向き合うという姿勢は今も昔も変わっていないのかもしれません。

わかまつ農園を立ち上げるまで。消費経済における「個人」と「企業」の幸せの判断基準とは?

エネルギーが有り余っていた学生時代を経て、高校卒業と同時に私は働き始めました。

理由は「早く自立したかったから」。

父と同じように高校を卒業して就職のために上京をした私は、働き始めることで大人の仲間入りができた気がして、とてもワクワクしていました。

世の中の大人たちは、みんなが清廉潔白で正義に満ち溢れた人ばかりだと思っていたので、その人たちと関われることが楽しみで仕方なかったのです。

しかし、その私の理想は、本当に思い描いただけの理想でした。綺麗な世界を理想にしすぎていたのかもしれません。

消費経済を生き残るためには、会社が存続していくためには、自分自身が生き抜いていくためには、清廉潔白だけではダメなのだということを、社会に出てから目の当たりにしていくことになります。

幼少期の経験もそうですが、この時の社会人としての経験が、何より今の私の活動の糧となっています。

就職し、その後、転職。不動産会社の営業時代、存分に味わった消費経済の話


東京で職を見つけた私が、最初に就職をした会社はパン製造を行う会社でした。

配属先は池袋・東武百貨店。「早く自立がしたい!早く理想とする大人たちと関わりたい!」と思っていた私にとって、働くことは一つの夢が叶ったような感覚でした。

しかし、ここで早くも理想と現実のギャップを経験することになります。

働く時間の長さから、思った以上に自分が自由に使える時間がなかったのです。更には、大人になったらやりたいことがやれると思っていたのに、会社組織には順序や秩序というものが存在し、組織の中のルールを把握して動かないと、やりたいこともやれないということを初めて知ったのです。

少しストレートな表現をすると、「誰に気に入られるのか?」「誰に可愛がられるのか?」によって、自分の組織の中での立場が大きく変わるという現実に驚きました。

その後、転職をし、次に就いた仕事は不動産会社の賃貸部門での営業の仕事です。不動産業界は、それなりに羽振りが良い業界なので、私も類にもれず、そこそこの額をお給料としていただいていました。

結果、どんな「若松潤哉」だったかと言うと、新宿のバーニーズニューヨークで30万円するスーツを買って、身につけるような生活をしていました(笑)。今のわかまつ農園・農園主の姿からは全く想像できませんよね。

でも当時は、それが当たり前だったのです。

稼いだお金で消費をし、そのお金を稼ぐために、また働く。

その行動が「自分にとって幸せなのか?」と考えることも出来ませんでした。

今なら、当時の自分に聞いてやりたいですよね。「おい、お前、その生活は心から幸せと言えるか?」と。

会社倒産から一転。航空業界に派遣社員として転職。その後、脳腫瘍ができるまで


しかし、神様というのは、その人の本来の使命と違う方向に生きていると、自然と正そうとするのでしょうか。

羽振りの良かった生活から一転。当時勤めていた会社の別の店舗が、あるトラブルによって閉鎖となり、会社の資金繰りが悪化したのです。なんとか立て直そうとしたものの、トラブルが立て続き、それも困難となり、程なくして退職。

働かないと生活も成り立たないので、「今すぐ出来る仕事を」と思い、日雇いの派遣で働き始めました。

30万円のスーツを買う生活から、雇用が安定していない日雇いの仕事へ。

人生は何が起こるかわかりませんよね。

たまたま派遣された先が、立ち上がったばかりの大手航空会社の関連会社。立ち上げの仕事に関わらせてもらい、派遣業務がひと段落した際に仕事ぶりを評価してくださったのか、「正社員にならないか?」と声をかけていただき、そのまま、その会社で働くことになりました。

ちなみに、妻と出会ったのも、この会社です。いわゆる職場恋愛、職場結婚というやつですね(笑)。

そして、人生の一大転機が起きたのも、この会社に勤めていた時です。

私の人生の生きる意義が明確になり、「わかまつ農園を始めよう」「糸島に移住をしよう」と決意し、走り出すきっかけを得たのです。
そのきっかけとは、「脳腫瘍ができたこと」でした。

今、自分が死んでも、人生を生き切った!!と胸を張って言えるかどうか?その問いを常に自分に問いかけたい


最初に自分の異変に気付いたのは、口が思うように動かせなくなったことでした。

口を開こうと思っても開けないことが続いたり、逆に、口を開こうとしていないのに勝手に口が開いてしまう。そのようなことが自分の体に起こり始めたのです。

「あれ?何だろう?おかしいな。」

最初は自分の症状に驚き、不安を感じました。

しかし、人間の「慣れる」という習性は恐ろしいですね。そのうち、自分のその体に対応をしながら、日々の生活をしたり、仕事をするための対処法を身につけてしまい、気づけば最初の症状から2年という月日が経過していました。

2年後。36歳の時に、脳腫瘍があると宣告されたのです。

目の疲れと視界がボヤけるのが治らず、病院に出向いたことがきっかけでした。

その時、初めて「死」を意識したのです。「あぁ、私は死ぬんだなぁ」と。

それと同時に、ある想いが湧いてきたのです。

「このまま死んで、自分はこの人生を悔いなく生き切った!幸せだった!と言い切れるのか?」と。

その答えは「No」でした。全力で「No」でした。

「このままでは死ねない!!」

そこから、私の本当の人生が始まったように思います。

見つかった腫瘍を取り除くための手術をしてみたら、腫瘍は良性。無事、摘出もできました。

「お前、本気で生きているのか?」

頭を殴られるような強烈なメッセージをもらったおかげで、熱血・若松に本気のスイッチが入ったのです。

(後編へ続く)

https://itoshima-olive.com/2018/11/26/message-from-wakamatsuform-vol02/

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